neonewtypeのブログ

140字に収まらないしツリーに繋げたくないとき用

病み病み

「今は『まだ』」好きなものが近々嫌いになりそうで怖いというか、好きな(好きだったはずの)ものを嫌いになってしまう自分が嫌だなぁと感じる。自己嫌悪。

でもそれは仕方ないのよな……相手が変われば自分も変わる。アレですわ、たとえるならまだ全然知名度が低いインディーズ時代からずっと応援していたバンドがメジャーデビューしたら急激に爆売れしちゃって「なんか遠くへ行っちゃったな……」って寂しさを感じる、みたいな。あぁ、もうあの地下の小さなライブハウスには絶対に来ないんだ。横浜アリーナでやっちゃうんだ……すごいなーよかったねー……みたいな。いや、もちろん売れるのは嬉しいよ。新規ファンもどんどん増えてほしいし印税ガンガン入って生活が豊かになってほしい。でも私の好きだった彼らではないんだね……みたいな。これはあくまでもたとえ話だけど、好きだった人が変わってしまうのはとても寂しいことだよ。変わった人に限って「あの頃と何も変わってないっすよ笑」とか言うけどさ。


メンタル的というか精神的な断捨離を地味にやっていて、執着を少しずつ無くしている。それは別に「やらなくちゃ」と思ってやっているわけではなくて、自然とスーッ……と自分から遠ざかっていく、あるいはポイッと躊躇いなく捨てちゃう感じ。物理的な断捨離は前々からやってるけど、精神的な断捨離は最近自然と始めた。なんだろうな、この世の未練をちょっとずつ断ち切っていくって感覚かも。

物理的なのもそうだけど「『それ』が無かったら本当に自分は困るだろうか?」ってよくよく考えたらけっこう要らないものばっかりだなってことに気づいた。もしかしたら誰にでも当てはまるかもしれない、身近な例をあげるならスマホに最初から入ってる謎アプリ、あるいはいつインストールしたのか分からない(最後にいつ起動したか分からない)謎アプリ。ニュースナントカやらナントカナビとかああいう、容量を無駄に食うタイプのやつ。もちろん使ってるならいいんだけど「必要無いな」って思ったら私は即アンインスコ。

ていうか私、スマホやタブレットのホーム画面が散らかってて見づらい人って許せないんですよね……生理的に無理ってやつです。本人が気にしてないなら私は口出しする余地は無いんだけども、チラッと見てゴチャゴチャしてると「ゥヴワァーーッ!!!」ってなっちゃう。元職場の共有PCのデスクトップなんかそれはもうグッチャグチャで酷かった。フォルダって知ってる?って詰め寄りたかったもん。


潔癖症とか片付けたがりってわけではないんですよ。ただ、そう遠くないうちに自分がいなくなる可能性を考えたら少しでも要らないものは自主的にどんどん減らしていかなきゃな、と。遺された人には故人の私物がゴミなのか宝なのかなんて分からないじゃないっすか。宝石とかよほど誰が見ても価値がありそうな物でない限り。


部屋をできるだけスッキリさせて、それから死にたいのでもっと涼しくなって(てか寒くなりそう)から本格的に片付ける。ひとはそれを身辺整理という。


しかし、同人誌が困るな……。20年くらい前なら同人誌専用古本屋みたいなところが当たり前のようにあったんだけど、今もあるんだろうか。持ってるのが全部R18Gだからまさかメル○リには出せないしなぁ。悩む。