しんどさをごまかして生きてます
最近左胸……具体的にいうと左乳房の下の辺りがシクシク痛む。なんなんだろう、心臓?心臓に何かあったとしても循環器内科の次の診察はゴールデンウィークのあとなのでちょっと先なのよな。一応血圧の記録をつけつつ様子見します。毎日つけてくださいねって医者に言われてんるけどついサボっちゃう……。
まだ花粉症がダラダラ続いてるのもあってしばらく鬱悪化の日々で、気を抜くと「あーもう死!終わり!!」ってなるのでヤバい。現世を捨てきれない理由があるからどうにかとどまってはいるけど、それもいつ放棄するか分からねーなって思う。
ひとつ前の記事にも書いたけど、あらゆることに対する執着が薄れつつあって「あれ、この作品なんか前より面白くなくなってない……?こんな面白くなかったっけ?いやまぁ、自分がそう思うだけで別に変わったとかそういうわけじゃないだろうけど……」って感じで漫画家とかのTwitterのフォローをそっと外しちゃったりしてる。ほんと申し訳ない。でもわざわざ「フォローやめます」とかリプしてないだけ偉いと思うの……。
熱が冷める一方なのほんとヤバいなって自覚はある。あるけど冷めると早いのよ私。引き際が潔いの。「無理かも(疑念)」が「無理だわ(確信)」になる間(ま)がほとんど無いの。やべーよな。
もちろん逆に20年以上経っても今でも変わらず好きっていうのもあるんだけど、それがいつ急に冷めるか自分でも分からない。
今現在読んでる漫画、観てるドラマに大して突然「あー……なんか、もういいや(諦観)」ってなる可能性がゼロじゃないの、わりとガチめに怖いなって思う。
それが鬱のせいなのか、はたまた別の何か(加齢とか?)のせいなのか分からないってのも怖い。多分鬱じゃないのかなぁ、どうなんだろ。物事に興味関心が薄れるのは鬱あるあるだけれども。
飽きるのがまだ「作品」に対してならいいんだけど「生きること」に飽きちゃったらそれこそ危険だよなぁ。「生きることに飽きた」なんてまったく思わないなんていったら嘘になるわけだし。
何もかもがすっっっごいどーーでもよくなるときって無いですか?鬱じゃない人はやっぱりそんなの無いのかなぁ。
食べる、おしゃれする、ソシャゲやるYouTube観る、そういう生きる欲望をいっさいがっさい捨てて「無」になりたい、みたいな気持ち。シュッと、パッと自分の存在が消えてもかまわないな、みたいな気持ち。でも死にたいとは違うのよな。無かったことにしたい、みたいな?リセットしたいみたいな?
いざ文字にあらわすとめちゃくちゃヤバいけど、ほんとそんな感じ。
だから、もし万が一自分が想う大切な人に何か大変なことあったとしても私はそんなに酷く心を乱されないんじゃないかとすら思う。
だって、そしたら私も消えたらいいわけだし?簡単じゃんね?
大切な人が生きるのも苦しいほどツラい思いをしている、あるいはもう既にこの世にいないとなったら私が選ぶなら「じゃあ死ーのうっ☆」になるんじゃないかと。完全に「逃げ」です、現実逃避です。分かってるから皆まで言うな。
とりあえず、推しが元気なら私はいつ死んでもかまわねーやとは常々思ってる所存。推しは生きろ、私は死ね!状態。なんだそれ。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。