neonewtypeのブログ

140字に収まらないしツリーに繋げたくないとき用

デトックス

X(旧Twitte)には極力ネガティブなことはポストしないようにしている。ネガティブなことを話題にするのが嫌なのではなく「私はネガティブにさせられた(から腹立たしい)」という感覚に陥るのが嫌だからだ。

わたしの感覚ではXで話題になっていることの7割くらいは私怨な気がする。ソシャゲの運営に対しての文句とか、男と二次元の女の子の絵に対するフェミニストの憎悪とか、あと反ワクチンとかしょーもない陰謀論とか。でもわたしは――わたしから見たら無駄な労力と時間を費やしてるとしか思えないけれど――思いの丈を吐き出すのは各々勝手に好きなようにしたらいいと思う。


たまにはわたしもこの場にだったら愚痴とかを書いてもいいかなと思って書き始めたのだけど、いざ考えると「海馬から記憶をほじくり返してまでわざわざ書くほどのことか……?」と思ってしまう。嫌なことはそりゃあたくさんあるのだけど、やはり書く前にその「嫌なこと」をじっくり考えなければならないというのが苦痛なのだ。

「嫌いなことについて書いたり喋ったりすると止まらなくなる」というのも分かるけど、それはフラストレーションが溜まりすぎて心身に良くなさそうなので、だったら「推しまじてぇてぇ……愛してる」って多幸感に満ちたほうがドーパミンとかオキシトシンとかがドバドバ出て肌がツヤツヤになったりしそうな気がする。


話は変わるが、本当に別にたいした理由は無く「なんとなく」って感じで9月末でVtuberを推すのを辞めた。Xのフォローを外したりチャンネル登録解除したり。生活に何も支障をきたしていないし後悔もしてないので、なんというか逆に「企業Vtuberに沼ってる人は大変だなぁ」と哀れみを感じてしまった。

なくていいものは、なくていい。

暑いより寒いほうが好き

11月なのに25度だの27度だの夏日ってなんだよバカじゃねぇのっていう日が続いたけど、ようやく秋になるようで安心。

昔はTシャツとハーフパンツで過ごせる夏が好きだったけど今は断然冬がいい。

でも冬は病みがちなんだよな。寒くて日が短くなってどうしても陰鬱な気分になる。とはいえ私は真夏でもゴリゴリに病んでたけど。


「死にたい」の4文字が精神科医に言えない。意中の人に「好きです」って言えない乙女みたいだ。死ぬ前に身辺整理とかやることはいっぱいあるんだけど、それを全部放り出して命を捨てたいという衝動に駆られることが度々ある。といっても脳内でそういった希死念慮をこねくり回してるだけなので、実際に行動に移す勇気も元気も無い。


最近、心と体がバラバラになるというか分離?していくような感覚がある。かなりおかしな表現だけど「この肉体は本当に自分のものなのか?」みたいな。体に心がついていけないパターンもあれば、その逆もある。だけど「わたしは何者かに操られている!」みたいな妄想に囚われているわけではない。そこまで精神は破綻していない。ただうつなだけ。


些細な諍いと、小さな苛立ちに絡め取られているような感覚。いっそ何もかも捨ててしまえれば楽なのかもしれないけど、悲しいかなわたしはそこまで非情になれない。

なんとか罪は犯さず生きているっていうのが現状で、いつも苦しい。しんどい。

やっぱりもっと早く死んだ(死ねた)ほうが苦しまずに済んだのかなぁ。今の生活、ゆるい生き地獄な気がする。家庭内暴力を受けているとかそういうのではないんだけど、将来はどう足掻いても破滅しかないって感じ。漠然としすぎているうえに、ハッキリと「これに困っています」と説明できるわけではないので役所には頼れない。ていうかただの中身の無い「お悩み相談」程度じゃ軽くあしらわれて終わりだしな、役所なんて。

 

私物を全部片っ端から四次元ポケットに放り込んで部屋を綺麗に片付けて、どこでもドアでスカイツリーのてっぺんに行って手ぶらで飛び降りたい。

死は救済。

【創作】ある少年の日記

ぼくは、ちきゅうがめつぼうすればいいなって、おもいます。

ぼくは、おかあさんと、いもうとのあやねちゃんが大すきなので、おかあさんと、あやねちゃんがしんでしまったら、すごくかなしくて、たくさん泣いてしまうとおもいます。

でも、ぼくも、おかあさんも、あやねちゃんも、友だちも、先生も、みんなぜいいんしんでしまったら、かなしくないとおもいます。

なんでかってゆうと、ぼくもしんじゃってるからです。

ぼくは、けんたとゆう名まえの犬をかっていました。

でも、きょねんのふゆやすみに、けんたはびょう気でしんでしまいました。

おかあさんは、けんたは天ごくとゆうところにいってしまったっていいました。

ぼくはすごくすごくかなしくて、ぼくもしんで、けんたとおなじ天ごくにいきたいと、大泣きしました。

そしたら、おかあさんにたくさんおこられました。おかあさんも泣いていました。

でも、けんたがいないのは、さびしいです。

おとうさんは、けんたとおなじ犬をかってくるとゆってました。

でも、おなじ犬はいらないといいました。

ぼくはけんたがすきです。

けんたは、生きかえりません。

ぼくがおとうさんにそうゆったら、なまいきだ、犬なんてみんなおなじだって、おとうさんになぐられました。

みんなおなじってゆうのは、おかしいとおもいました。

ぼくのサッカーの友だちのしゅんきくんが、けんたとそっくりな犬をかっているけれど、けんたじゃないから、ぼくはほしくないです。

ぼくが、けんたのとこにいくのはだめっておかあさんにゆわれたので、みんなでけんたのとこにいければいいなって、おもいました。

ぼくは、けんたがいないのがさびしいです。

けんたは、ぼくのいちばんのともだちです。

ぼくは、けんたに会いたいなっておもいます。

だから、ちきゅうがめつぼうしたら、けんたに会えるとおもいます。

どうすれば、ちきゅうがめつぼうするのかなっておもいます。

ぼくは、はやくおとなになりたいです。